■ Audio Short Essay  No.27 ■

◇ オーディオ趣味の衰退 その2 ◇

前回のエッセイの投稿のあと、オーディオ趣味の衰退に関して、今の若者の音楽観が影響している
のではないかと、常々、考えていたことを思い出しました。

私の若い頃、オーディオに興味を持った発端といえば、その頃流行っていたラテン音楽や、ムード
ミュージックをいい音で聴きたい、というものでした。ラテンの激しいリズムや珍しい楽器の音、ムード
ミュージックの美しい旋律とオーケストラの響き、これらの音をよりいい音で聴きたくて、オーディオに
のめり込んでいきました。ビッグバンドの音楽には歌詞がない場合も多く、たまにヴォーカルが付い
ていたとしても、内容まで理解できないので、人の声もまた音楽の一部でした。

そして最近の若い人が聴く音楽といえば、曲調の激しさは影をひそめ、歌詞から受けるメッセージを
重要視しているように感じます。それは昔の音楽のように、美しい旋律や激しいリズムで、聴く人を
感動させることはありません。若者は抑揚の少ない曲に込められた歌詞から 「共感」 「慰め」
「励まし」 を求めて聴いているように感じます。以前、町内会の音楽フェスティバルで女子中年生が
お経のような曲調で、念仏を唱えているような音楽を歌っているのを聴いて、衝撃を受けたことが
あります。

昔、ラテン音楽が流行っていたころ、日本は急成長の時代で、今日より明日は必ずいい暮らしが
約束されていた世の中でした。人々は豊かな生活に向けて、ひとつの方向に向いていました。
この頃、流行った音楽は明るく、勢いがあったように思います。
でも、現代の日本は成熟社会となり、社会組織や、暮らしを豊かにする様々な技術が、ひと通り
完成された社会です。若い人が何か目標を立てても、そのほとんどは完成されている社会 ----
若者にとっては、夢を持ちにくい世の中、なのかも知れません。そのような社会で聴く音楽は、
「希望を持たせてくれるもの」 「共感を与えてくれるもの」 「慰めてくれるもの」 なのでしょう。

若い人のすべてが、このような音楽を聴いているとは思いませんが、昔は音楽の音の変化そのもの
を聴いて楽しんでいたように思います。 今の若い人が聴く音楽に、りっぱなオーディオ装置は必要
か ---- おそらく必要はないでしょう。  「共感」 「慰め」 「励まし」 を求めて聴く音楽には、ひとりで
聴くラジオかヘッドホーンが似合います。

オーディオは音楽を聴く道具であると共に、感動を得る手段でもあります。最近の若い人が聴く
音楽に 「感動」 はあるのでしょうか。
 ※ エッセイはあくまで個人の見解です。 この他に様々な見方があると考えています。




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